世界に誇るブランド牡蠣である「的矢かき」(まとやかき)
松坂牛や伊勢えびと同様、三重ブランド認定一号にもなったこの「的矢かき」は、ただ一つの養殖場でのみ取り扱われています。
その唯一の養殖場が「佐藤養殖場」
「的矢かき」の魅力とその秘密に迫るべく、佐藤養殖場へ取材に行ってきました!
100年の伝統を誇る佐藤養殖場ですが、実は「佐藤養殖場の歴史は日本の牡蠣養殖の歴史」ともいえるほどの歴史と技術が詰まった養殖場なのです。
佐藤養殖場を知った上で食す「的矢かき」は、これまた格別な味わいになること間違いなし。
一粒一粒に想いを込め、最上の牡蠣を作り出す佐藤養殖場の魅力に迫りましょう。
この記事は、三重ブランドの高級牡蠣「的矢かき」生産の「佐藤養殖場」の監修でお届けします。
佐藤養殖場は、牡蠣におけるプロ中のプロ!
社長の濱地氏は「みえのカキ安心協議会」の副会長もしていらっしゃいます!
佐藤養殖場が作り出す「的矢かき」
「的矢かき」は、三重県志摩半島の東側にある「的矢湾」で養殖された牡蠣のことで、三重ブランド認定第一号にも選ばれた高級ブランド牡蠣。
「牡蠣嫌いが、牡蠣好きになる牡蠣」とまで言われる的矢かきは、身は艶がありふっくら、「旨味・甘味・塩味」がバランスが素晴らしく、とてつもなく上品で美味しいまさに至高の逸品。
さらに牡蠣特有の苦味、えぐみ、臭みなどがまったくなく、誰もが好きになるといわれる牡蠣です。
的矢かきは今や世界に誇るブランド牡蠣で、今や日本中、世界中の有名料理人がその品質を認め取引をしているほどの牡蠣なんです。
的矢かきについて詳しくはこちらの記事をどうぞ!
的矢かきを食べるならココ!
佐藤養殖場の伝統の技術とこだわり
まずは、佐藤養殖場を取材していてわかった、的矢かきの美味しさの秘密をご紹介していきましょう。
実は佐藤養殖場は、牡蠣の食文化にとって最重要の特許を取得している日本最高峰の牡蠣養殖場。
「感動する牡蠣をお届けする。そのために手間隙は惜しまない」
的矢湾という最高の環境に加え、情熱を持った作り手のこういった想いと確かな技術が、ブランド牡蠣「的矢かき」が産み出しているといえます。
では、その技術とこだわりを少しだけ見ていきましょう。
垂下式牡蠣養殖法(すいかしきかきようしょくほう)
この養殖方法は、佐藤養殖場の創業者・佐藤忠勇氏が確立させた技術とのこと。
牡蠣は通常、大きくなるまでに2〜3年はかかるそうですが、そんな牡蠣をわずか1年で十分な大きさにまで成長させるのが、「垂下式牡蠣養殖法」という特別な方法なのです。
1年で育て上げた牡蠣は、通常の2〜3年かかる牡蠣とは違い、身はふっくらとして艶があり、牡蠣特有のえぐみや苦味がない牡蠣になります。
まさに、的矢かきの品質を支える技術といえますね。
牡蠣の生育に最適な環境作り
「牡蠣の良さは自然の恵みで60点まで決まる。ただ、これを100点の牡蠣に引きあげるのは職人の技術だ」
佐藤養殖場の社長・濱地大規氏はこう言います。
佐藤養殖場では、的矢湾の海を知り尽くした作り手が、潮の流れなどを読んで牡蠣養殖の位置を変えたり、牡蠣が十分な栄養を得られるように牡蠣の入った籠の高さを変えたりと、天然の自然任せでは絶対に作ることのできない極上の牡蠣に育て上げています。
さらには、なんと生育中の牡蠣の殻をひとつひとつ手作業できれいにし、また海に戻すという作業まで行っているとのこと。
これは、牡蠣が摂取するはずの養分を牡蠣の殻についたフジツボなどが奪わないよう、ちゃんと牡蠣が十分な栄養を取れるように、出荷前だけでなく生育中にも殻をきれいにする作業を必ず行うとのことです。
すごい労力をかけていますね・・・!
滅菌浄化する特許技術
「牡蠣はあたる」っていうイメージありますよね?
私ももちろんそのイメージは持っていましたが、佐藤養殖場の牡蠣はすごい・・・!
佐藤養殖場では、滅菌した海水で20時間牡蠣を飼育し、牡蠣を滅菌するという方法により、極めて安全な牡蠣を出荷しています。
この技術は、佐藤養殖場が長年研究を重ねて世界で初めて完成させた、牡蠣を滅菌する画期的な浄化方法で、佐藤養殖場が特許を取得した特別な技術なのです。
この技術により、日本で一番厳しい牡蠣の出荷基準を持つ三重県の基準よりもさらに厳しい自社基準をクリアし、安心で安全な牡蠣を作り出しているとのことです。
実際、現場の養殖場で徹底的に管理されている牡蠣がとっても印象的でした。
佐藤養殖場のドラマ
佐藤養殖場の歴史は、日本の近代牡蠣養殖の歴史
佐藤養殖場が今日に至るまでには、様々なドラマがあったそうです。
佐藤養殖場の創業者・佐藤忠勇氏は、まさに牡蠣養殖の第一人者であり、佐藤養殖場は日本牡蠣養殖のパイオニア的存在。
先述したように「垂下式牡蠣養殖法」は佐藤忠勇氏が研究の末に確立させた技術で、これにより日本の牡蠣養殖は劇的に進歩したといいます。
また、今となっては当たり前のように牡蠣を食べている日本人ですが、実は戦後アメリカ軍より「日本の牡蠣は不衛生だから食べないように」という指令があり、牡蠣養殖の需要が激減した時期があったそう。
ここでも創業者の佐藤忠勇氏は奮起し、先述の牡蠣浄化法を確立させたことにより、日本でも安心して生牡蠣が食べられるようになったようです。
まさに、日本の牡蠣業界を支え続けた存在が、佐藤養殖場なのです。
「今、日本で生牡蠣が食べられるのは佐藤養殖場のおかげ」、といっても過言ではないですね!
佐藤養殖場の危機
そんな佐藤養殖場ですが、海洋状況の激変や経済状況の変化に巻き込まれていく、厳しい時代があったようです。
牡蠣の大量死を何度も起こすような海洋環境の大きな変化や、近年の世界的感染症の影響は大きく、佐藤養殖場の経営環境は危機的な状況を迎えてしまいます・・・
そこで佐藤養殖場の再建を任されたのが、現在の社長である濱地大規氏。
実は濱地氏が社長就任の打診を受けた時点で会社の負債はかなりの額になっており、濱地氏も社長就任の打診を受けるかどうか、本当に迷ったといいます。
ここで濱地氏を動かしたのは、「佐藤養殖場は、日本の牡蠣業界にとって特別な存在であり歴史。この存在と技術が失われてはいけない」という自身の強い想いと、「なんとか会社を、的矢かきを、救って欲しい」と直接願い出た従業員たちの熱い想い。
ここから、新生 佐藤養殖場の歴史がスタートします。
佐藤養殖場の今
再建を託された濱地社長は様々な改革に着手。
100年の歴史と伝統をしっかりと受け継ぎ、変えてはいけない大切な部分はしっかりと継承する。
ただし時代に合わせて改革しなければならない部分は、生産・販売・流通全てにおいて徹底的に見直す。
特に、佐藤養殖場が目指すべき方向性を明確にし、直営レストラン「的矢かきテラス」をスタートさせて、今ではより多くの方々に的矢かきを楽しんでもらえるようになっているようです。
佐藤養殖場・濱地社長の想い
佐藤養殖場の濱地社長は、魚の養殖業を営む家に産まれ、自身も16歳から水産業関係に従事し続けているまさに海の男。
カツオの一本釣り漁船から始まり、巻き網漁船、養殖魚網元、活魚車での運送、市場従事、卸小売業にいたるまで、水産業の本当に最初から最後までを20年で全て経験済み。
濱地社長の根本には、これら20年の経験の中で強く感じた「日本の水産業を盛り上げたい」という強い想いがあるといいます。
「水産業の過疎化、海洋変化、担い手の減少、自給率の低下など、水産業を取り巻く環境はとても厳しい。そんな中で、的矢かきの養殖業を通して持続可能な水産業を確立させることで、水産業やその生産者、ひいては日本の海の産物を守っていきたい」
濱地社長はこのように語ります。
実は佐藤養殖場の社長になる前には、大手を含む色々な企業から転職のオファーをもらっていたそう。
ただ、「牡蠣業界にとって大切な存在である佐藤養殖場を失いたくない」という熱い気持ちと「一次産業である水産業に一生関わり続ける」という強い想いから、今回の再建に踏み出したとのことです。
佐藤養殖場のこれからの100年
佐藤養殖場は創業約100年。
「当時の常識を破って近代牡蠣養殖のパイオニアとして歩み続けたこれまでの100年に対し、さらに100年続くための基盤つくりをしていきたい」
濱地社長はこう話してくれました。
今後は、新しい牡蠣養殖方法の確立、海洋変化への対応、また経営基盤の安定のために、牡蠣の養殖だけにとどまらず、観光・飲食などを広く行っていく計画。
そんな中、「感動する牡蠣をお届けする」この1点だけは必ず守ると約束してくれました。
濱地社長は目下の目標として、次のように語ってくれました。
「『世界の的矢かき』として海外展開を強化し、日本だけにとどまらず、世界中の牡蠣好きの人たちに笑顔と感動をお届けしたい」
的矢かきが世界の頂点を取る日が待ち遠しいですね。
的矢かきの生みの親「佐藤養殖場」まとめ
濱地社長にはたくさんのお話をお聞きしましたが、その最後にこんなことをおっしゃっていました。
私の名前は『濱地大規(ハマジタイキ)』
漁師の子として生まれた上に、名前に『ハマチ』と『タイ』が入ってるんです。
しかも星座は『魚座』。
私がこの仕事しているのはもう運命、宿命ですわ(笑)
的矢かきと水産業を守る、濱地社長。
これからもずっと応援と注目をしてきたいですね。
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